こんにちは。
ベースボールバイブルの東です。
NPB史上唯一の400勝投手である金田正一氏が亡くなりました。
この金田氏が残した400勝という記録は今後破られることのないとてつもない記録だと思うわけですが、やっぱり400勝もする野球選手の意識というのは高かったようです。
金田さんの指揮の下でプレーした経験がある有藤通世さん(72)=船橋市在住=は7日、千葉日報社の取材に「今の自分があるのは金田さんのおかげ。プロの野球人としての在り方を教えてくれた」と振り返った。
有藤さんがプロ入りした1969年当時はセ・リーグ全盛の時代だった。金田さんがロッテの監督に就任した73年以降、現役時代の知名度とともに人柄が人気を集め、パ・リーグも注目されるようになったという。
金田さんにはトレーニングのほか、食事や体のケアについても教わった。若い頃は、何でそこまで執着するのかと疑問に感じることもあった。食事の際、ホテルの厨房(ちゅうぼう)に入り込み、新鮮な食材を使っているのか確認する金田さんの姿を覚えているという。
山本昌さん:
「入団した時にね、“背番号34”『金田の背番号だ』って周りの人に言っていただいて、すごく謙遜した覚えがあるんですけれども。(名球会入りで)ようやったなということで、34番の後輩だということですごくかわいがっていただいたので、私も長く34番を付けさせていただいて本当に嬉しかったなと思いますね。よく会うと『しっかり健康に気を遣っとけよ』と『体に金かけろよ』っていう話はしていただいてたので、急で。この前お会いした時も元気だったので、驚いてます。私にできることといったら、ご冥福をお祈りするしかないとは思います。本当に残念な方を亡くしたなと思います」
金田氏の逸話といえば…
・就寝時には利き腕の肘を守るためにサポーターを着けて、冷えたりしないよう万全のケアをしてから寝床に入った。
・自分の子でも左腕では抱かなかった。
・「一人前の野球選手が自分で車なんか運転したらいかん」と車の運転はしなかった。(運転することで神経を消耗するとプレーに影響する)
・ヒゲを剃るときも、指先を切る恐れのある剃刀は使わず、電気シェーバーを使用していた。
・外出時にもつま先を剥き出しにするサンダルは絶対に履かなかった。
・普段の生活からケガの防止には人一倍気を遣っていた。
・マッサージを受ける時は、一部分のみのマッサージはせずに必ず全身をマッサージするように心がけ、鍼、灸の類は一切しなかった。
・シーズンオフは完全に休養に充ててコンディションを整えていた。
これは50年以上前の話ですからね。金田氏がただただ生まれ持った能力だけで400勝したわけではないということがよくわかると思います。
また、金田氏といえば「走れ!」で有名ですが、選手を走らせることにこだわっていたわけではなく、走ることが逆にマイナスになりそうな選手には絶対に走らせないなど、状況に合わせた指導をされていたそうです。
まあ、金田氏が持つ400勝という数字を超える野球選手が出ることはないと思いますが、金田氏のような高い意識で野球をする選手がたくさん出てきてくれることを願っています。
では、また。
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