こんにちは。
ベースボールバイブルの東です。
文春オンラインに素晴らしいコラムがありましたので紹介させていただきます。ぜひ、チームづくりの参考にしてみてください。
元来、内海は明るい性格で自然と周りに人が集まるリーダータイプだと思っていた。だが、自身のプレイヤーズデープログラムで語ったところによると、高校を卒業して社会人野球チームに入るために上京した際は、年上ばかりの新しい環境に戸惑い「何をしゃべったらいいか分からん」と悩めるガラスの十代。実は今でも初対面の人には何を話したらいいのか分からない。なんと、ああ見えて内海哲也は人見知りなのだという。つまり、どこかの時点で意図的に自分を変えたわけだ。いったい何のために?そこにはプロ入り当初の苦い経験を元にした内海の断固たる意志と決意があった。
(中略)
通常、優勝翌日はお祝いムード溢れるいい意味でユルい作りの紙面になるわけだが、この日の日刊スポーツに掲載された内海の手記はガチだった。「晴れの日に、ふさわしくないかもしれない。誤解を招くかもしれない。でも、今思うことを正直に記したい」と始まる手記は、夢かない祖父と同じ巨人のユニフォームに袖を通すも、暗黒時代と呼ばれたチームの苦悩を赤裸々に振り返っている。エースと呼ばれる先輩方は人を寄せ付けないオーラを放ち、後輩が気軽に会話することもできない。
「常にピリピリした空気が漂い、恐怖すら感じた。俗に言う派閥もあった。誰かと話すだけで『内海はあっちについた』とささやかれたりした。あこがれが大きかった分、ショックだった」
子どもの頃から死にたいくらいに憧れた巨人軍は揺らいでいた。若い内海は絶望するが、やがて心に誓う。いつか自分が軸になり、新しい巨人を築くのだと。ちなみにチームは転換期で、桑田真澄、上原浩治、高橋尚成といった一時代を築いた主力投手たちが続々とメジャーリーグへ。グアム自主トレのリーダーを引き継いだ背番号26は「あの頃に戻るのは絶対に嫌だ。自分が引っ張るんだ」と年下の選手に接するようになる。もう人見知りなんて言ってられない。大人になるんだ。後輩を下の名前で呼び、聞かれれば何でも答えた。いい手本になれるよう練習での妥協も一切やめた。自身が初の最多勝を獲得したシーズンオフ、ソフトバンクから実績も年齢も上の杉内俊哉がFA移籍してくると個人の感情は抑え、ベテランと若手を繋げるのが自分の役割だと失礼を覚悟しつつ“トシ兄”って呼んだ。やがて内海は理想のチーム像に辿り着く。
「内海城はまだ平らな1階建ての城でしかない。でも、階が分かれているよりよっぽどいい。広いフロアにみんな一緒。『雑魚寝ジャイアンツ』で最高だ」
そんな恵まれたフラットな環境に翌年加わったのが、ドラ1ルーキー菅野智之だった。等身大のリーダーがいて、ノーヒットノーランを達成したキレキレの杉内トシ兄も健在で、先発で結果を残す澤村拓一もいた。重圧をワリカンできる理想的なローテで新人の菅野はキャリアをスタートさせることができたわけだ。そして今、その菅野が中心となり、巨人は次の世代のサイクルへ進もうとしている。
確かにエース内海の時代は終わった。だが、この男がベースを作ったチームはこれからも後輩たちに継承され続けるだろう。6月10日の西武戦で内海は今季3度目の先発マウンドへ上がり、7回2失点の粘投でチームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。サヨナラ打を放ったルーキー大城卓三の背中に飛び乗り、少年のような満面の笑みを浮かべる背番号26の姿。若手もベテランも関係ない。自分が新人の頃、大城の年齢だった頃、こんな風に同じ目線で無邪気に喜んでくれる先輩がいただろうか……。
絶対にあの頃に時計の針を戻してはならない。もしかしたら、36歳の内海哲也は今も巨人を変えようとしているのかもしれない。
実際、読売ジャイアンツは2012年からV3を達成したわけですが、せっかくですから内海選手が日刊スポーツで書いた手記も見てみましょうか。
選手会長として、まずはお礼を言わせてください。ファンの皆様のおかげで優勝することができました。ありがとうございました。晴れの日に、ふさわしくないかもしれない。誤解を招くかもしれない。でも、今思うことを正直に記したい。
9年前、祖父と同じ巨人軍のユニホームに袖を通した。ようやく夢がかなった。うれしくて仕方なかった。でも想像していたのとはまったく違う世界、例えるなら暗黒時代とも言えるような雰囲気が、そこにはあった。
エースと呼ばれる先輩方は一国一城のあるじとしてそびえ、寄せ付けないオーラを放っていた。若手が気軽に会話するなんてとんでもない話。常にピリピリした空気が漂い、恐怖すら感じた。俗に言う派閥もあった。誰かと話すだけで「内海はあっちについた」とささやかれたりした。あこがれが大きかった分、ショックだった。1日も早く力を付けて軸となり、新しい巨人を築こうと誓った。
入団後の数年間、苦しかった。慕っていた高橋尚成さんが抜けた2年前から、グアム自主トレのリーダーを引き継いだ。あの頃に戻るのは絶対に嫌だ。自分が引っ張るんだ、と決意を固めた。
年下の選手を名前で呼ぶことから始めた。名字よりうれしいだろうし、親近感が湧くかなと。ちなみに「ゆうき」は今年、小山、江柄子、久米、古川と4人もいる。手の内も隠さなかった。調整法、精神のコントロール、ロッカー室での振る舞い。見て学んでほしかった。聞かれれば何でも答えた。練習での妥協も一切やめた。半分は自分のため、半分は後輩に見てほしいからだった。
荒野をさら地にして「内海城」の骨組みを築いている最中に。杉内さんが加入した。バリバリの日本人FA投手で、同じ先発左腕。突然、隣に六本木ヒルズが建ったように感じた。去年最多勝は取ったけど、まだ物足りないと思うし、球団もそう感じたのだろう。「オレじゃ力不足なのかな」。情けないけど、素直な心境だった。
一方で、尊敬の念を抱き、期待する自分もいた。WBCではすごさを肌で感じていた。間近で見て、もっと成長できるかもしれない。投手としての純粋な欲望もあった。そんな気持ちのはざまで揺れた。
でも取るべき行動は分かっていた。野手には阿部さんがいる。投手は僕だ。先輩にあだ名をつけるのは失礼かもと覚悟しつつ「トシ兄」って勝手に呼んだ。杉内さんには自分の生意気を受け止めてくれる懐があった。みんなも一緒になり、呼び始めてくれた。新人でも誰でも遠慮せず、堂々と力を発揮できる環境になっているなら一番うれしい。
「内海城」はまだ平らな1階建ての城かもしれない。でも、階が分かれているよりよっぽどいい。広いフロアにみんな一緒。「雑魚寝ジャイアンツ」で最高だ。
お礼を言いたい方が2人いる。昨季まで投手コーチだった小谷正勝さん。辞められた時は、めっちゃ寂しかった。また指導していただける日が来ればいい、とずっと願っている。みんなお世話になっているし、同じ気持ちだと思う。
原監督には感謝しかない。ニセ侍に突発性四球病。当時はつらかったけど、笑って振り返ることができる。未熟で苦しんでいる時期、ずっと「お前が必要なんだ」と励まして、使い続けてくれた。だからこそ今がある。 押しつぶされそうだった自分を温かく見守ってくれた恩に、日本一で報いたい。
そして、選手たちはこんな証言をしています。
あだ名もらいうれしかった 証言 杉内
巨人は和気あいあいで、みんな頑張ろうって雰囲気がある。これはすごく助かりましたね。後輩も頼ってきてくれるし、僕も頼っている。野手の方もそう。移籍してきて、非常にやりやすかった。僕を引っ張っていってくれた。あだ名も付けてくれて、うれしかったんですよ。内海がチームを引っ張っているのは間違いないですね。育成入団の僕見下さず会話 証言 山口
初めて会った時から、内海さんは何も変わっていない。育成で入った僕を見下さなかった。 最初から気さくに声をかけてくれた。何かがある時は必ず相談する。結婚も最初に報告しましたし、公私関係なくです。なぜかと言われればわからないんだけど、人柄、なんでしょうね。
強いチームには間違いなく能力の高い素晴らしい選手たちがいます。でも、その選手たちをまとめられなければ勝つのは難しいわけですね。ましてや勝ち続けることなんていうのは不可能に近いはずです。だからチームに内海哲也のような選手がいるとありがたいですよね。彼は空気を感じて空気を変えたわけですから。まあ、意外と野球を支配しているのは『空気』だったりしますから…。せっかく大好きな野球をするわけですからどうせなら良い空気の中で野球やってほしいなと思います。
まあ、願いを込めて…
では、また。
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